「さて、どうしたものだろうか」 そう呟く僕の前には、いくつもの無機質な金属製の白い箱が並んでいた。 これはiPodという外の世界の道具で、たくさんの音を蓄え、そして奏でる道具である。 以前、八雲紫に灯油の代金として持っていかれたのと同じ物なのだが、最近になっていくつも見つけたのだ。 妖怪の賢者とさえ言われる八雲紫が持っていく位なのだから、これは価値の有る道具なのだと予想できる。 こんな小さな箱に音を詰め込み、あまつさえ音楽を奏でるというのだ。 外の世界の技術というものは素晴らしい。 すばらしい道具だと思うのだが、全く同じ形をした物がいくつも必要だとは思えない。 僕は一つだけ持っていれば十分だし、きっと八雲紫だってそうだろう。 つまり、価値はあるが使い道が無く、灯油の代金にもならないような道具が沢山あるわけだ。 そうすると、残りのiPodは売り物にする訳なのだが、使い方がよく分からない金属の箱をどうやって売ればいいものだろうか…… ……いや、待てよ。 よくよく思い返して見れば、僕は以前にこの道具を使ったのではなかったか? 八雲紫に持って行かれる前に、この道具から外の世界の音が聞こえたはず。 いや、音だけでなく外の世界の空気に触れ、外の世界にの景色も見たような…… あの時……僕は憧れの外の世界に立っていたのではなかっただろうか? 「あの時僕は……」 iPodを持ち上げ、そっと耳に近づけ――― ―――カランカラン 来客を告げるドアベルの音。 その音に僕は我に返り、iPodを勘定台に置いた。 そして、入り口に顔を向ける。 「失礼する」 僕の店に訪れる客は皆、僕が出迎えるよりも先に口を開く。 入り口に立っている、寺子屋の教師でさえ例外でない。 以前修行していた霧雨の店では、客より先に挨拶をしろと教えられた事を思えば、僕の接客は商売人としてあまり褒められたものでは無いだろう。 しかし、ここを訪れる客も、そして僕自身もそんな事を気にしないので特に問題は無い。 「おや、里の守護者殿じゃないか。今日は何かお探しかい?」 店に入ってきた人物は上白沢 慧音。 半妖の身でありながら、わざわざ人間の里で暮らし、人々に幻想郷の歴史を教えている変わり者だ。 「今日は此処に、とある物があると聞いて見に来たんだ」 「寺子屋の教材か何かかな?」 彼女は、頻度が少ないとは言えこの店のお得意様だ。 時折この店に訪れては、寺子屋の授業の資料を買って行く。 例えば、古い農具であったり、ちょっとしたお呪いの道具であったりと様々だ。 まぁ、幻想郷広しといえど僕ほど道具を愛し、物持ちのいい道具屋も居ないだろう。 彼女が僕の店に、歴史的資料を求めてやって来るのも、なんら不思議な事ではない。 「今日は教材ではなく、剣を見に来た」 「剣……ですか?」 僕の知り合いの中では比較的温厚な彼女が、剣を見に来たとはいったいどういう風の吹き回しだろうか。 「あぁ。その剣の名前は『草薙の剣』というのだが……心当たりはあるか?」 慧音の言葉に僕はビクリとし、壁に掛けられた剣を見つめる。 あの剣、『草薙の剣』は大変希少な品であり、凄まじい力を秘めた剣なのだ。 その力は天下を取り、外の世界を変えてしまうほどの物だといわれている。 彼女はその力に魅せられた者なのだろうか? 「ほう、あれがそうなのか」 慧音は僕の視線をたどり、草薙の剣を見つめる。 しまった。 警戒しておきながら、わざわざ在り処を教えてしまったようだ。 彼女は人々から里の守護者と呼ばれるような人格者で、安易に力を振りかざすような人物には見えない。 しかし、草薙の剣は安易に人の手に渡っては危険なシロモノだ。 僕は釘を刺すような意味で、草薙の剣の方へ歩み寄る慧音に声を掛ける。 「……非売品ですよ」 「ああ解ってる。別に私はこれが欲しい訳じゃない」 慧音の言葉に僕はホッと息を吐いた。 「見せてもらってもよろしいか?」 「どうぞ」 僕がそう言うと、慧音は懐から紙を取り出し、それを咥えてから草薙の剣を抜き放った。 草薙の剣は緋々色金で出来ており、人の唾程度では錆びたりはしないのだが、几帳面な慧音らしい。 鞘鳴りもなく引き抜かれる剣。 刀身の輝きが、薄暗い店内を照らす。 いつ見ても美しい輝きだ。 魔理沙には本当に良い物を譲ってもらったな。 僕がそんな事を考えている間に、ひとしきり眺めて満足したのであろう、慧音は剣を鞘に戻し、口から懐紙を取り除いた。 「本物か?」 「ああ、本物だよ」 いくら精巧に作られても、偽物で僕の目を誤魔化す事は出来ない。 つまり、僕が本物だといえばどんな物でも必ず本物なのだ。 僕の言葉に慧音は何故か落胆した様にため息を吐いた。 「なぁ、店主殿。草薙の剣の力がどんな物なのか知っているか?」 「僕の目には、天下を取る程度の能力、いや、もっと凄い物だと見えているよ」 「天下を取る……か。スサノヲやヤマトタケルが手にし、天皇に力の象徴として祭られた剣。まさに王者の剣だ」 王者の剣。 何ともすばらしい響きだ。 ますます気に入った。 そんな上機嫌な僕をよそに、慧音はどこか憂鬱そうに口を開いた。 「店主殿、私の力のモト、ハクタクがどういった妖獣か知っているか?」 「ハクタクか……たしか、牛のような体に人面、顎髭を蓄え、顔に3つ、胴体に6つの目、額に2本、胴体に4本の角を持つ獣。徳の高い王者の前に現れる……だったか?」 「そう、王者の前に現れる獣だ。何かに似ていると思わないか?」 王者の剣に王者の前に現れる獣か。 どちらも王の前に現れるモノだが、現在幻想郷には神やら姫やらは居いても王と呼ばれるものは居ない。 「なるほど、先程から憂鬱そうな顔をしていると思ったが……君は幻想郷には王は必要ないと考えているのかい」 「いや、王が賢王であれば問題ない。愚王ならば私が教育してやるつもりだ。私が憂いているのは王の存在ではなく、王が必要とされる状況だよ」 彼女は草薙の剣を見ながら、僕に言う。 「どういうことだい?」 「さまざまな歴史を振り返ってみても、王が生まれるのは乱世が多い。この平和な幻想郷に王が必要な……幻想郷を纏め上げなければならない、そんな事が起こるのだろうか。草薙の剣も私の力も、大きな争いが起こる予兆ではないのか。そんな事を考えてしまったんだ」 確かに王と戦は切っても切れない縁がある。 日本で最初の王である神武天皇からしても、もともと居た神を打ち倒して王になったのだ。 幻想郷の王がそうであっても、何らおかしくは無い。 「しかし、中にはお告げや神託、つまり神が認めて王になったようなケースもある。案外あっさりと王が現れるかもしれないよ」 「神が王を決めるか。しかし、どの神が決めるんだ? 神といっても幻想郷にそこらじゅうに神が居るぞ」 「それはやはり最高神である龍神か、もしくは幻想郷自体じゃないだろうか」 僕の言葉に慧音は目を丸くする。 「幻想郷が意思を持っているというのか?」 「八百万の神が居る幻想郷だ。土地神が居てもおかしくは無いと思うよ。何度も異変が起こり、危機を乗り越えてきた幻想郷だ、姿は見えずとも何らかの意思が働いているかも知れないね」 「なるほど、それは面白い考えだ。ならば店主殿はどんな人物が幻想郷に選ばれると思う?」 「そうだな……」 僕は腕を組み頭を捻る。 幻想郷に王として選ばれる人物か。 里長、天狗の長、妖怪の賢者、鬼に神、さまざまな人物の中で王として選ばれるには、まず幻想郷を愛している事が第一条件だろう。 その上で一目で王だと解る様な何かを持つ人物…… 「……例えば僕なんかどうだろうか」 「は?」 慧音はポカンとした表情で僕を見つめている。 「幻想郷がなにをもって王を決めるかは解らないが、こうして王者の剣を持ち、ハクタクの前に居る僕には、何らかの意志が働いていると考えられないか」 「ふ、ふ、ふはははは……たっ、確かに、それは盲点だった」 慧音は我慢できないといった風に笑い転げる。 そこには先ほどまでの陰は無い。 笑われたのはシャクに触るが今回は大目に見ておこう。 「ははは……して、店主殿。いやいや、王様。その王という力を持って何を成す?」 慧音は楽しげに僕が王になったら何をするのか尋ねてきた。 しかし、彼女の目はあまり笑っていない。 これはあまり妙な事を答えると説教をされそうだ。 「特に何も」 「なんだ、せっかく王になったのに民を導き、より良い世界を作っていこうという気概は無いのか」 慧音は腕を組んだ。 まぁまぁ、焦るな、と僕は慧音を制する。 「王が為政者である必要はない。そもそも王が政治を行うものという考えが間違えなんだよ」 「君臨すれど統治せず、というやつか?」 「少し違うね。王とはその国のシンボルだ。月や太陽みたいなもので、民は王を見て行動をするんだ」 「それは王が指示を出しているのと、何か違うのか?」 違うね、と僕は答える。 「太陽が昇ったから人は起き、不吉な赤い月が出ているから人は外出を控える様に、王が怒っているから戦の準備を始めるといった具合さ」 「どちらにせよ民は王の気まぐれに振り回されるじゃないか」 慧音は腕を解き、腰に手を当てた。 「いや、王の行動は一つの指針でしかないよ。占いやジンクスの類だと思ってもらっていい。例えば洗濯をしようと思っている君がいる。ふと、隣を見れば猫が顔を洗っている。洗濯を続けるか止めるかは君が決める事だ。王も同じ様なものさ。王の行動を見てどうするか決めるのは民だよ」 「王の行動が占いの結果でしかないのならば、王は何をすればいいんだ。占いか?」 「王はその名が示す通り、『央』つまり中央に居るのが仕事だよ。人々は何をするにしてもまず王を見て行動する。王が国の中心でどっしりと構えていればそれだけで民は安心するんだよ。だから幻想郷の王ならば幻想郷の中心でどっしりと座っていればいいんだ」 はて、幻想郷の中心。 自分で言っておいてなんだが、どこかで聞いたことがある言葉だ。 あれは確か……そう、魔理沙だ。 いつぞや魔理沙が僕に向かって吐いた言葉だ。 僕が幻想郷の中心――王なのか? ふむ、僕の店香霖堂は霧雨――人間、森――妖魔、それと神社――境界の中心を表している。 つまり此処は幻想郷の中心といってもおかしくは無い。 となると僕は今、幻想郷の中心に座して、王者の剣を持ち、ハクタクを前にしている。 これはもう幻想郷の中心――王と呼んでもおかしく無いのではなかろうか。 冗談で言ったつもりの言葉だったが、此処まで来ると本当に何らかの意思が働いているとしか思えない。 いや、それだけではない、この草薙の剣、別名天叢雲剣にしてもそうだ。 八咫鏡、八尺瓊勾玉、布都御魂剣、十拳剣さまざまな神器がある中で、霖之助、名前に雨を冠する僕の前にこの天叢雲剣が転がり込んで来たのは天啓と言ってもいいだろう。 つまり、僕こそが幻想郷の王だったのだ。 「くっ、くくくくく……」 「ど、どうしたんだ店主殿。いきなり笑い出して」 「いや、なんでもないよ。そうそう、君は僕に王になって何を成すかを聞いていたね。僕が王になったら幻想郷の中心で座っているだろうね。いや、ただ座っているのも退屈だから店でも開こうかな。店の名前は『香霖堂』いや、『皇霖堂』なんてどうだろう」 慧音は再びあきれたようにため息をはく。 「はぁ、それではせっかく王になっても何も変わってないじゃないか」 「三つ子の魂百まで。王になったからといって人は早々変わったりしないという事だろうね」 僕の言葉に、慧音はついに吹き出してしまった。 「ふ、はははは。これは一本取られた。草薙の剣が幻想郷に有ると聞いて、心配して来てみたが、お前のような奴が持っているうちは争い事の心配は無いかもしれないな」 「ああ、安心したまえ。僕が王である内はそうそう大きな争いなんて起こらないよ」 「ははは、それなら安心だ。心配事も片付いたし、そろそろ帰ることにするよ」 こうしてワーハクタクの少女は、僕が王である事を認め帰っていった。 それにしても僕が王だったとは思いもしなかった。 今の幻想郷の平和は僕が此処にいることで守られていたのだろう。 それならば阿求の幻想郷縁起で、僕が英雄の項目に載っていた事に説明がつく。 さしずめ僕は幻想郷の平和を守る英雄という訳だ。 僕は壁に掛けられている王者の剣を取り、勘定台の内側にある木製の玉座に座る。 これからも僕は愛する幻想郷を守っていかねばならない。 その為には――― 勘定台の上に置かれたiPodを手に取り、不要品と書かれた箱に入れる。 外の世界は魅力的だが、僕はそうそう幻想郷を離れるわけには行かない。 「幻想郷の平和を守るのも大変だ」