ナナシマ諸島。  カントーの沖合に浮かぶこの島々は、リゾート地としてよく知られている。  各島のごく一部のみが人間によって開拓され、町が存在しているものの、大部分は原野と森、そして山が占めている。  しかし、ナナシマにはカントーにはいない種族のアイドルが居住しており、トレーナーたちの関心を集めていた。  また、島の各地には古い遺跡が存在し、これらは観光名所として公開されている。  そうした長期滞在の客を島に留めるべく、大資本複合企業体「四条グループ」が大規模な投資を行い、まともな産業のなかったナナシマを、リゾート地として生まれ変わらせた。  その甲斐もあって、にわかにナナシマは注目を集めることになる  今では島の人口の多くを、外からの滞在客が占めるようにまでなり、ナナシマ諸島における主産業は完全にリゾート産業へと移行することになった。  しかし、その裏で。  島の古い言い伝えも外に知られることになり、招かれざる客も、現れるようになったのである。 「はー、ここがナナシマかぁー」  ナナシマは、大きく分けて七つの島によって構成されることからそう呼ばれている。  極めて味気ない由来のこの島々の、各島もまた、数字によって呼ばれるという大変合理的かつ味気ない呼ばれ方をしていた。  そのひとつ、四の島。  陽気な気候のナナシマにおいて、極寒の洞穴をその内部に抱えるこの島は、少々変わった風土を持つ。  冷気に親しむアイドルたちが多く暮らし、また氷を用いる人間たちとも長らく共存してきたこの四の島は、ナナシマの中では人口が多い。  そうした背景もあって、この島は多くのアイドルと、トレーナーをアイドルリーグへと送り込んでいた。  そのため、トレーナーたちの間では、以前から口の端に上ることもあり、近年は直接来訪する者も多くなっていた。  そして今日も、トレーナーがひとり。  そのトレーナーは、女の子だった。  少女というよりは、童女と言うべきだろう。  恐らく学校にも通っていない年齢の彼女は、ただ一人、親にも連れられず、定期船に乗りこの島へとやってきたのだった。  だが、彼女にしてみれば。 「思ったより、冷たくないね」 『寒いのはあくまで洞窟の中ですよ』  周囲から見れば独り言にしか聞こえないその言葉にも、返事をする者がいた。 「洞窟が寒くて、外は暑いって、変なの」 『変ではないのです。地形によってはそういうことも十分ありえることで……』  彼女の耳だけに届くその声は、どう説明したものかと考えているようだった。  静かに、優しく諭そうとするその声を押しのけるように、面倒くさそうな声が響いた。 『子ども相手にそんな説明するだけ、無駄でしょ』 『けれど、こういうことはきちんと教えないと……』 『いいんだって、こういうのは分かるときに分かれば。いい、つまりこれはね』  言い争いをほけーっと聞いていた彼女に、第二の声は言う。 『つまり、氷のアイドルが寒さをコントロールしてるから洞窟は寒いのよ』 「そうなんだー」 『嘘はよくないのです……』  一番目の声が、げんなりしていることは分かるが、彼女は分かりやすい説明を選んだようだった。 「よく分かったから、そろそろ行こっか。まずは島の誰かにお話を聞こうかな」  そう言って、彼女は“トレードマークの赤い帽子”をきゅっと被り直した。  彼女の名は、天海春香。  後に、リーグ四天王ワタルによりアイドルマスターと名付けられ畏怖されることになる少女の、まだまだ幼い、未完成な時代の姿である。  前述したように、四の島は比較的人口が多い。  が、その比較する対象はあくまでナナシマの他の島であり、絶対的には、離島の過疎的人口の域を出ないのであった。  それがつまり、どういうことかというと。 「もうほとんど、話聞いちゃったかなあ」  情報収集を始めてから僅か一時間。  町中で人の集まる場所に目星を付けて話を聞いていたのだが、たったそれだけの時間で粗方聞きたい話を聞き終えてしまった。 『あまり、有益な情報は得られませんでしたね』  春香からして右側───しかし何もない空間から、たおやかなその声が響く。  それは春香の目にもやはり何も映りはしないが、しかしそこに、燃えるような赤髪の少女の姿を幻視した。  今はその姿を現し世から消している───文字通り、物質として存在していない。  それは彼女たちのような、生きながらにして伝説を背負う者にとっては、当然のように可能なのだと(本人たちは)言う。  そう、伝説。  かつて反魂の巫女として祀られながらも、現代においては既に人々の記憶から忘れられた存在。  人間にとって、そして様々な力を持つアイドルたちからしても神にも等しい力を持つ、生きた伝説。  声の主は、春香にホウオウと呼ばれている。  春香が初めて出会った伝説のアイドルであり、春香をトレーナーとして目覚めさせた張本人である。  とはいえ基本的には争いごとを好まぬ穏やかな性格であり、平時は単独行動の多い春香の保護者のように振る舞っている。 『最後の目撃証言が古老の方で、それも証言としては怪しいものです。もしかしたら、外れかもしれませんね』 『だーから、言ったじゃないのよ。伝説のアイドルなんてのは、現代じゃただのUMAでしかないのよ』  ホウオウとは反対側───春香の左側から、気だるげな声が割って入った。 『ほとんどデマなんだから、わざわざこんな辺鄙なとこに来る必要なんてないのよ』 『……私たち自身が言うのもどうかと思いますよ』  自分たちの存在を否定するかのような発言に、ホウオウが遠慮がちながら突っ込みを入れる。  左の声の主は、ルギア。  ホウオウとは様々な点で対照的である。  白銀の髪。  外見と違わぬ少女としての口調とメンタリティ。  面倒くさがりでもあり、彼女の場合は気が向いたときにしか春香にも声を聞かせようとはしない。  その気まぐれな性格は、時に静かに、時には荒ぶる、海の化身として畏怖されていたことと無縁ではないのだろう。  ホウオウとの共通点は───永き伝説を背負った存在だということ。  ルギアも現代では忘れられた存在であり、海中深くに自らを封印して眠りについていた。  しかしホウオウにそのことを聞いた春香の手によって封印を解かれ、今はこうして同行しているのである。 「ねえ、ホウオウ」 『はい、何ですか?』 「UMAって、何?」 『馬のことよ』 『ルギアっ!?』  自分で言ったことでさえも、適当。  春香はまたもそれをほへーっと聞き。 「そっかぁ。ホウオウやルギアって、お馬さんなんだ」 『そうよ。ヒヒーン』 『子どもに嘘を教えるのはやめてください……』  春香のお目付け役を自称するホウオウとしては、ルギアのいい加減な対応は頭が痛いことだった。  おまけに、春香は歳相応以上に素直と来ている。  こうして幼い春香は、誤った知識を吸収していくのであった。 「えっと、分かったことは」 『山の頂から、炎を纏った鳥が現れたことがあるということくらいですね』  炎の鳥。  それが何を意味するのか、ホウオウやルギアはよく知っていた。 『リザードンとかいうオチじゃ、ないでしょうね』 『流石に見間違えられるとは思いません。おそらくは、確実に』  炎を纏うという意味では、ホウオウもまた属性を同じくする。  それだけに、彼女には目撃されたものについて、ある程度の推測が可能だった。 『ファイヤー。不死鳥と呼ばれるものの、その原型です』  ナナシマは、灯火山と呼ばれる火山を有している。  噴火こそここ数十年起こっていないものの、灯火山はれっきとした活火山であり、現地の人間でも踏み入ることは少ない。  そうした場所ゆえに、謎めいた噂話も、発生しやすいのだと言える。 「ファイヤー。ホウオウと、似てる?」 『似ていると言えば、似ています。ですが、似ていないと言えば、似ていません』 「んぅー、分かんないよ」  ホウオウの言い回しは、子どもの春香には難しい。  物事の真理は単純ではないという彼女の思想によって、安直な言い方を避けているためなのだが、大抵の場合ルギアがそれをフォローという形で台無しにしてしまうのだった。 『要するに属性くらいしか合ってないってこと』 『……ですから、もう少し言い方というものをですね』 「属性は同じなんだね。ふぅん、じゃあ何とかなりそうかな」  春香は重要なことは聞いたとばかりに、納得する。  その単純さは子どもゆえのものではなく、戦って勝てるかどうかという、トレーナーとしての思考だった。 『ですが、気を付けてください。ファイヤーは私と違い、炎の力を破壊に向けて発揮することを好みます』  炎は、大きく分けて二種類のものを司っている。  そのひとつは、全てを焼き尽くす破壊の力。  もうひとつは、穢れを浄化し、新たなる始まりを告げる再生の力。  ファイヤーが前者であり、ホウオウは後者を体現している。 「暴れん坊なんだね」 『あまり好意的な接触は望めないかもしれません』  伝説のアイドルの力を、春香が知らないわけではない。  それでもなお、彼女は既に幾つもの伝説を打ち破り、己が仲間としてきた。  時には純真な言葉によって下し。  時には純粋な力によって降してきたのだ。  春香には、伝説のアイドルに対する恐れも畏れもないのだった。  ホウオウは、そして多分ルギアも、春香のことを好ましく思いつつ、心のどこかでは恐れてさえいる。  この子は、いつか伝説の全てを、終わらせるのではないのか、と。  末恐ろしい、と思う。  だがきっとそれだけではなく───この子は、いつかアイドルの歴史を変えてしまうのではないか。  それが良い方向へ向けば、それでいい。  だがホウオウには、春香に話したことのない、苦い思い出がある。  かつて巫女として、失われた生命を呼び戻す偉大な聖者として人間たちに敬われてきた自分が、一事の誤解によって、人間に迫害されたことを。  人間たちとの共存を望み、人間たちの願いを叶えてきたホウオウにとって、それは忘れがたい悲しい思い出だった。  ルギアも、決して口にはしないが、それに近い経験をしてきているはずである。  海の守り神とまで呼ばれ、多くの人間に崇拝された彼女が、ただ一人孤独に海の底で自らを封印していたのは、そうした思い出と無関係ではないだろうと、ホウオウは思っている。  長らくの眠りから覚めた二人が見たのは、人間とアイドルが共存している世の中の姿だった。  そのことに安堵したのも事実だが、何か一事あれば、再び両者は決別を迎えるのではないかという懸念は、消すことができない。  果たして春香は両者を結ぶ方向に力を向けてくれるのか。  それとも─── 「あれ、あの子どうしたのかな?」  春香の声で、我に返る。  その視線の先には、春香と同い年くらいの女の子がいた。  人も見かけぬ町外れ、その子は更に町から離れる方向に、とぼとぼと歩いていた。 『どうしたんでしょう。何だか元気がなさそうです』 「迷子なのかな?」  傍から見れば春香自身も迷子に間違われかねないが、本人はそんな気はさらさらない。  何の迷いもなくその女の子に近付くと、背後から声をかけた。 「こんにちは」  はたして、女の子は声をかけられ、振り返った。 「あれ?」  春香は首を傾げる。  その子は、目を真っ赤にして───泣いていたのだった。 (あれ、本当に迷子かも) 『だとしたら放っておけませんね』  春香は声に出して話してはいないが、ホウオウはその思念を読み取って返事をする。  もちろん、目の前の女の子はそのどちらも耳に届いていない。 「はじめまして、私、春香。あなたは?」 「……………………」  女の子は、春香をちらちらと伺っているものの、応えない。  警戒されているのかもしれない。 『ナナシマだと、地元民かどうかはすぐ分かってしまいますからね』  交流が活発になってきているとはいえ、ナナシマは元々本土からは隔絶された離島だ。  特にアイドルたちからは、観光客の受け入れに消極的な意見も多く見られる。  しかし、春香はそれ以上何かを言うことはなく、女の子の姿をじっと見つめていた。  ただ言葉を待っているのではない。観察しているのだ。  ───おかっぱ頭の、青い髪。  ───目前まで近付けば感じ取れる、僅かに纏った冷気。  間違いない、アイドル……恐らくは、ラプラス種。  純粋な観察眼で以って、春香はそう推察する。  そして、トレーナーとしての直感で以って……秘めた、その力を感じ取った。 (すごいな……この子、鍛えたらとっても強くなるよ) 『春香は本当にそればかりですね……』  それが春香の性格───否、備えた性質だと理解はしても、同年代の子どもを相手に、真っ先に考えるのが強さについてとは。  ホウオウは、幾分春香のこの先が心配なのだった。 「…………ちーちゃん」  女の子が、長い長い沈黙の後、躊躇いがちにそう言った。 「お名前、ちーちゃん?」 「……………………」  こくり、と女の子───ちーちゃんは頷いた。 (自分で自分のお名前ちーちゃんって、ちょっと子どもっぽいね) 『……………………」  そういう春香は大人びすぎている。  行動力といい、決断力といい、そしてその考え方といい、子どもらしい部分が少なすぎる。  それを指摘したところで、春香が自覚するとは思えないので、ホウオウは黙っていた。 (そういえば、町のほうでちーちゃんって女の子を探してるお姉さん、いたね) 『ああ、そういえば……いましたね。眼鏡をかけた女の人が』  情報収集の最中、春香は人探しをしている女性に出会っていた。 「自分のことをちーちゃんって呼ぶ女の子、見てない?」  十代半ばほどだろうか、その女性は慌てた様子で春香にそう尋ねた。  春香が素直に見ていない、と答えると、女性はため息をついた。 「そう……そうよね、あなた、この島に来て間もなくよね。見てなくても、当然かしら」  自ら口にして、自分が焦っていたことを自覚したらしい。  一息つくと、改めて春香に言った。 「もし、この先ちーちゃん……千早、っていう名前の子を見かけたら、この先の家に連れてきてもらえる?」  春香はやはり素直に、分かったと答えた。  女性もありがとうと礼を言うと、再びその子を探しに歩き出した。 「ちーちゃん……千早ちゃんって言うんだね」  いきなり名乗ってもいない本名を呼ばれて千早はびくりと驚いたものの、また頷いた。 「お姉さんが探してたよ。町に帰ろ?」  お姉さん、というのは年齢差から考えた春香の推察だったが、実際は当たらずも遠からずといったところである。  しかし千早は、しばらく押し黙った後、首を振った。 「……帰らない」  その反応には、春香のほうが驚いた。 「どうして? お姉さん、待ってるよ?」 「待ってない」  ちーちゃんのことなんて待ってない、と自分で口にしてから、じわりとその目に涙が浮かんだ。 (そっか、喧嘩しちゃったのかな?) 『……春香は理解が早すぎます』 (自分だったらどうしてかなって考えたら、分かるよ)  そんなやり取りを心の中でしつつ、春香は尋ねた。 「じゃあ、どうするの?」 「……………………」  千早はまた押し黙った。  これから先のプランは、ないらしい。 「家出なんて駄目だよ。どこか行くなら、ちゃんと計画立てなきゃ」  そういう問題ではないし、それを千早に言ったところで、何も意味はなかった。  千早は、春香の言葉に耳を貸すことなく、頑なに帰ることを拒否し続けた。 (無理矢理引っ張ってっちゃ、駄目だよねぇ) 『泣いてしまいますよ』 (うーん、じゃあ)  考えた末、春香はひとつの提案をした。 「ちーちゃん、私と遊ぼ」 「え……」  再び、千早が驚く番だった。  のみならず、これにはホウオウも驚いた。 『春香、ファイヤー探しはいいのですか?』 (別に急ぐ必要はないよ。それに、何だか見つからない気もするし)  そーだそーだ、とルギアが適当に相槌を打った。  伝説探しを心底嫌がっているように見えるが、単にホウオウの意見に反発したいだけである。 「家に帰りたくないなら、私と遊ぼうよ」  そう言って春香はにこにこと笑う。  千早はしばらく戸惑っていたが。 「うん」  当てもなく町を出てきたのだろう、どうせならというつもりで、春香の誘いを受けた。 (遊び疲れたところを送ってあげれば、お姉さんとの約束も守れるしね) 『ですから春香は、計算高すぎます……』  それから数時間、春香と千早は連れ立ってナナシマの各地を巡った。  千早は幼いながらも地元民らしく、観光案内には載っていないナナシマの名所を教えてくれた。 「へー、この島、お金持ちさんの別荘なんだ」 「うん。本当は、勝手に入ったら駄目だけど」  遊び始めてしばらくして、慣れてきたのか千早も春香と普通に話をするようになっていた。  元々人見知りをするだけで、特別無口なわけではないのだろう。  遊びながら、自分のことを教えてくれていた。  どうも、眼鏡のお姉さんは近所に住んでいる人らしく、いつも千早と遊んでくれるのだという。  が、今日は千早の弟ばかり構って千早は相手にしてもらえなかったらしい。 (まあちーちゃんがそう言ってるだけだから、本当はどうなのか分からないけどね) 『ですから……もういいです……』  人口の少ないナナシマで、同年代の女の子と遊ぶ機会は多くないのだろう。  春香と遊ぶ千早は、傍目に見てもはしゃいでいるように見えた。 「あと、本当は秘密のこと」 「秘密?」 「あの山」  千早が遠く、海を挟んだ山を指差す。 「灯火山。あそこに、伝説のアイドルがいるの」 「ふぅ……ん」  春香は少しがっかりしたことを悟らせないように相槌を打った。  その話はもう既に聞き出している。  が。 「この前、あそこから飛ぶのを、見たの」 「……本当?」  ぎょっとして振り向く。  近日の目撃情報は、初めてだ。 「赤くて、火の鳥みたいだった。お話に聞いてたとおり」  間違いない。  それこそ、春香が目的とするものだ。 『嘘ついてるって可能性は?』  すぐにでも飛び出しそうな春香を先んじるように、ルギアが言った。 『姿形は言い伝えにも残ってるんでしょ? 子どもなりに、友達に見栄張ってるのかもよ』 (そうだけど。でも本当だと思うよ) 『どうして?』 (友達の言うことは、信じるよ)  ルギアがはぁー、とため息をついたのが分かる。 『でも、これで確認する必要が出てきましたね』 (うん、行って見てみなくちゃ)  千早が本当のことを言っているか……あるいは見間違いか、そうでないかに関わらず。  これだけ最近の目撃情報は、無視できるものではなかった。 「ねえ、ちーちゃんその話……」 「詳しく聞かせてもらおうか」  端的に言えば、春香は油断していたということだ。  伝説のアイドルを追うのは自分だけだと、勘違いしていた。  だからといって彼女を非難する理由にはならないが、やはり油断は油断だろう。  今、この島は“招かれざる客”も呼び寄せているのだと、既に聞き及んではいたのだから。  だから。 「……ちーちゃんさらわれちゃったのは、私のせいだよね」  突き倒された状態から、ようやく起き上がる。  砂埃を払って、言う。 「助けに行かなきゃ」  春香が千早に話を聞こうとした瞬間、背後から現れた男によって突き飛ばされたのだ。  注意が疎かになっていた春香はなす術もなく倒れ、その隙にもうひとりの男によって千早がさらわれた。 『春香、大丈夫ですか?』 「平気。ちーちゃんたち、どこに行った?」 『岩場のほうに』  ホウオウの言葉を聞くと、春香は躊躇なく走り出した。 『春香、気を付けてください。あれは最近噂のロケット団です』 「ロケット団?」  初めて耳にする単語だった。  関わることはないだろうと、ホウオウもわざわざ今まで教えることはしなかった。  しかし、今回はそれが裏目に出た。 『アイドルを使って犯罪を犯す、悪者たちです』 「ひどいね、それ」  分かりやすいよう噛み砕いて説明するが、春香にとっては友達をさらう連中というだけで、怒る理由は十分だった。  ホウオウとしては、春香に人間と争いをさせたくはないというのが本音である。  しかし、人間が時にどれだけ残酷になるか───それを知っていれば、ただ大人しく状況を受け入れろとも言うことはできない。  幼い春香にそれを強いたくはないが、春香が人間と対決するのならば、それを止める理由もないのだった。 「あ……あれ、あのボート」 『どうやら岩場の陰に隠していたようですね』  人間たちや千早の姿は見えない。  どうやら既に中に乗り込んでいるようだ。  さてどうしようかと考えていると。  ボートのエンジンがかかる。 「!」  春香の行動は迅速だった。  手近な岩に飛び乗り、そのままの勢いでボートに向けて跳ぶ。  着地の瞬間、全身のバネを使って衝撃を殺すことも忘れない。  平素はよく転んだり、あまり機敏とはいえない春香だが、主にそれらは他の物事に集中しているときに起こる。  元々の運動神経は、アイドルとしても優れている部類である。  すぐさま操舵室からは四角となる物陰に潜む。  直後、本当に間一髪のタイミングで、ボートは動き始めた。 「……気付かれてないよね」 『あちらも、春香みたいな子どもが追ってくるとは思っていないでしょう』  一息。  とりあえず目的地は灯火山で間違いないだろうが、到着まではしばらくかかりそうだ。 『……で、一体どうすんの、この状況』  それまで黙っていたルギアが、言う。 『千早って女の子を助けるの? ファイヤーを捕まえるの? それとも人間を殺すの?』 「うーん、最後はそんな気ないけど……でもちーちゃんを助けて、できればファイヤーも見つけたいよ」  少なくとも、ロケット団にファイヤーを渡すわけにはいかない。  そしてもし、ファイヤーを巡ってロケット団と争いになるならば、恐らく戦いは避けられない。  春香も、それは承知の上だった。 「悪い人たちにはお仕置きも必要だよね」 『同感だわ』 『焚きつけるのはやめてください』  とはいえ、ホウオウとしてもファイヤーを悪意ある人間の手に渡すわけにはいかないのは同じである。  ただ、極力穏便な方法で済ませたいというのが、彼女の甘さであり、良心でもあった。 「まあ、なるようになるよ」  春香はそれ以上を考えない。  もちろん春香としても無闇に人間を傷付けたいとは思っていないが、本質的には戦闘狂である。  自分の意見が通らなかったとき、どんな手段を取るかは、それこそ火(ファイヤー)を見るより明らかだった。  三十分ほどかけて。  ボートは灯火山の麓の海岸に到着した。 「……………………」  二人組の男が、千早を引き立ててボートを降りる。  ここで止めに入るという選択も、ありえるのだが。 『一番彼女が安全に解放される可能性があるとすれば、彼らが目的を達してからでしょう』  ファイヤーさえ見つければ、千早に用はないはず。  その際に介入して、交渉さえ上手く運べば、彼らと戦わずに済み、千早を助けられる可能性があった。 『甘いわね。用済みになったら消されるわよ』  ルギアはあくまでシビアな見方を崩さない。  実際、どちらかといえばルギアの言うように、用が済んだら口封じに遭う可能性が高かった。  だから、ホウオウの提案は最後まで人間を見捨てないという、彼女の信条に基づくものである。 「いいよ、ホウオウのやり方にしよう」  それでも春香は、その提案に乗った。  ファイヤーをこの目で見たいというのもあったが、自分のやり方では下手をすると千早に被害が及びかねないからだ。  春香のやり方───即ち、“目に付く端から全て攻撃”である。  男たちに見つからないよう、春香もボートを降りた。  男たちは千早を先に行かせ、案内させている。 「ということは、ちーちゃんはファイヤーがいそうな場所に心当たりがあるんだね」 『脅されてるから適当に言ってるのかもよ』 『そこまで機転が利くとは思えません。恐らく、本当に心当たりがあるのでは』  岩陰に隠れながら、前を行く三人を尾行する。  山肌のところどころから蒸気が噴き出しており、この山が活火山であることを思い出させる。 『強い炎の力を感じます。確かに……ファイヤーがいてもおかしくありませんね』  同じ炎の属性を持つホウオウが言うのだ、その評に間違いはないだろう。  いよいよ、可能性は高まってきた。 「着いたね、頂上」  一時間ほども登っただろうか。  千早の先導がなければ見落としていただろう洞窟などを抜け、春香たちは頂上に辿り着いた。 『……ファイヤーは、いませんね』  見晴らしのいい頂上の、どこを見渡しても、千早が言っていたような姿は見当たらない。 『やっぱり適当言ったんじゃないの?』  ルギアと同じことを、男たちも思ったのだろう。  千早を問い詰めているようだった。  男たちの激しい剣幕に、千早は震えるだけで、何も言えない。  やがて男の一人が焦れた様子で千早の首を掴み、引きずっていく。  その先には───火山の火口が開けていた。 「ちーちゃん!」  それを見た春香は、一も二もなく飛び出した。  三人が、同時に振り返る。 「あ……」  千早が驚きと、喜びの表情を見せ。  次の瞬間───  千早を掴んでいた男は、その小さな体を火口へと突き飛ばした。 「ホウオウ!!」 『はい!』  春香が呼びかけ───紅蓮の巫女が現に降臨する。  ホウオウは出現と同時に翼を広げ、空を切って火口に突っ込む。  悲鳴を上げる千早は……間一髪、ホウオウの手が抱き止めていた。 「……ちーちゃんに、ひどいことしたね」  春香が男たちを睨む。  頭からは、既にファイヤーのことなど消し飛んでいる。 「ちーちゃんを放してくれたらそれでいいと思ってたけど、そんな人たちは、許さないから」  そして小さく呼びかけた。 「ルギア」  歪み。  虚空を引き裂くようにして、銀髪の海神が現れる。  ルギアはゆっくりと目蓋を開けると、にこりと笑った。 『……こいつらは私への生贄と思っていいのかしら?』 「いいよ」  物騒な言葉を、春香は即答で肯定する。 「な、何だこいつは!」  男たちの表情が引きつる。  慌てて連れてきたアイドルを呼び出そうとするが。 『愚鈍だわ、人間』  ルギアが腕を一振りすると、それだけで大気が激震し、衝撃が男たちを襲う。 「が、はっ……!」  エアロブラスト。  本来なら岩すら砕くその技を、しかしそれでもルギアは手加減して放ったのだろう。  男たちはまともに喰らいつつも、白目を剥いて悶絶するだけで済んだ。 『本当、人間ってのは力もないくせに、よくもまあこんなにのさばってるものだわ』 『言いすぎですよ』  気絶して痙攣している男たちを、ルギアは足蹴にする。  蹴られた男は弱々しく呻き声を上げたが、春香はそれに頓着することなく千早に駆け寄った。 「ちーちゃん、大丈夫?」 「んん……」  ホウオウが抱える千早の顔を覗き込むが、どうやら気を失っているようだった。 「あんな怖い目に遭ったら、仕方ないよね」 『ええ。ゆっくり休ませてあげましょう』  とりあえず皆を連れて手近な町まで飛ぼうかとホウオウは考え。  突然、総毛立った。 『春香……!』  背後の“脅威”から庇うように、千早と春香を同時に抱き締める。  予測が当たっているならば───  ホウオウはぎゅっと目を瞑り……“熱波”をその背で受け止める。 『ぐ……くぅぅ……っ!!』  背中が焼ける。  一瞬ではなく、吹き付け続ける熱波が、じわじわと皮膚を焼いていく。  熱い。  炎に焼かれるなど、何百年ぶりか。  そう、それは恐らく、人間たちの手でその身を焼かれたあの日以来の─── 「ホウオウ、ホウオウ!」  春香の呼びかけで、我に返る。  ほんの一瞬、意識を失っていたらしい。  額に脂汗を浮かせつつも、冷静に自分の受けたダメージを分析する。 『……大丈夫です、この程度なら』  意識を集中させ、自己の持つ生命力を最大まで活性化させる。  すると見る間に、焼け焦げた肌が再生していった。 『春香は、大丈夫ですか?』 「うん。ちーちゃんも」  これほどの熱波を受けて二人が無事かどうかは、ホウオウの懸念だったが、どうやら本当に大丈夫なようだ。  しかし流石に無傷というのは───と思って視線を上げると、ルギアが上げていた手を下ろしたところだった。  どうやらとっさに障壁を張り巡らせ、熱波を軽減してくれたらしい。 『しかし、炎で以って私を傷付けるとなると……』 『多分、あんたの考えてるとおりよ』  背後を振り返る。  揺らめく陽炎の向こう。  炎の翼を纏うその姿─── 『ファイヤー……!』 『小賢しい人間どもに与するか……ホウオウ、ルギア』  互いに面識はないものの、その存在は承知のようだった。  先ほどの不意打ちにも劣らない敵意を、ファイヤーはその瞳に灯していた。 『誤解です、ファイヤー。私たちは、あなたを捕まえに来た人間を止めようと……』 『何が誤解か。人間の横暴に嫌気が差したのは、同じだと思っていたのだがな』  春香は、それを聞いてまた同じだ、と思った。  出会った伝説のアイドルたちは揃って、そう口にした。  もう人間には関わりたくない、と。  彼女たちに何があったのか、それを理解し、共感できるほど春香は歳を重ねていない。  しかし、その気持ちの名前は───  彼女らが共通して抱くそれは、“絶望”と呼ぶのだと、春香は知っていた。 「ファイヤー。人間のみんながみんな、悪い人じゃないよ」  もちろん悪い人もいるけど、と春香は倒れているロケット団の二人に目を遣る。 「それでも、いい人もいっぱいいるんだよ。世の中には」 『……若い、いや、幼いな。小娘、お前はまだ何も知らない』  春香をアイドルと判断し、ファイヤーは若干敵意を抑える。  しかし強烈な反発心はまるで消える気配がない。 『先ほどの男たちの行いを見ただろう。お前と同じような幼い子どもすら、手に掛ける。それが人間の本質だ』  やはり見ていたのか、とホウオウは思う。  恐らくはただ自分を探しに来ただけなのなら、黙ってやり過ごすつもりだったのだろう。  しかし、男たちが千早を殺そうとしたために、現れた。 『あんた、悪意を向ける対象が違うんじゃないの? こいつらを焼き殺すって言うなら、あたしは見過ごすのもやぶさかではないんだけど』  ルギアはそう言って、男たちに視線を送る。  しかし、彼らが無傷なのは、やはりルギアがホウオウたちと一緒に男たちを守った証左だった。 『ルギア、お前もホウオウと同じだ。口先だけで、既に心は人間たちの世に染まりきっている』 『勝手に人の心を決め付けないでほしいわね。あたしは気まぐれで旅に付き合ってるだけ。それに』  酷薄に笑って、言う。 『もし人間どもが昔から進歩してないようなら、今度こそ人の世なんて海の底へ沈めてやる』  その言葉には、微塵の嘘もない。  改めて世の中を見て回り、もしも未だにアイドルたちとの争いを招いているようなら、その時は世界を滅ぼす。  それが、ルギアが春香に同行する際に提示した条件だった。  しかし、ならば。 『……結論はまだ出ぬと見える』 『まあね。どうせ無限に近い命、そう焦ることなんてないでしょ』  少なくとも、まだ。  この時点では、ルギアは世界を滅ぼす気はない。  春香に言わせれば、そんなことは一生ありえないのだという。 「私が、いっぱい人間の面白いとこ、いいとこを見せてあげる」  春香がファイヤーを見上げ、言う。 「だから一緒に行こう? 独りでいるより、ずっといいから」  ファイヤーは押し黙る。  しかし、その沈黙が示すのは、否定と、拒否。  その程度の言葉で揺らぐほど、人間たちに抱いた幻滅は小さくはない。  だが、それを見越したように、春香は笑った。 「私が言っても、駄目だよね」  当然のように。  自分がそれを口にしても、ファイヤーが納得しないことは分かっていたと言わんばかりに。  だから続けて口にする。 「ファイヤー。勝負しよ」 『何だと……?』  ファイヤーが呆気にとられる。  春香は、気にしない。 「勝負。私が勝ったら、一緒に来て」 『……私が勝ったならば、どうする』 「ファイヤーの好きにすればいいよ。でも」  躊躇なく、言った。 「ちーちゃんや、そこの人たちを殺すのは駄目だから。もしどうしてもって言うなら、私が代わりになる」 『春香っ!!』  ホウオウが鋭く咎める。  しかし春香は、微笑んで応えた。 「大丈夫だよ、ホウオウ。私たちは、負けない」  何の迫力も篭っていないその言葉に、しかしホウオウは気圧される。  ルギアのときも、そうだった。  春香はとんでもない条件を引き換えに、ルギアを旅に連れ出したのだ。  世界を丸ごと担保にして、海神を引きずり出した。  そのとき、春香は言ったのだ。 「みんな一緒じゃない世界は、嫌だから」  孤独だったホウオウやルギアに言ったその言葉。  だから一緒に行こう。  ただ、一緒にいるために、一緒に行こう。  それだけのために。  春香は、自分の命も厭わない。  もはや信条や信念などというレベルではない。  それは、彼女の生き様そのものだった。 『……二言はないだろうな』 「ないよ。それより早く、勝負しようよ」  自分の命を懸けたというのに、春香は全く物怖じしない。  むしろ戦いを急かしている。  本気であり、本物なのだ。  例え命を懸けることになってでも、春香はむしろファイヤーと戦う機会ができたと喜んでいるのかもしれない。  ファイヤーは数瞬、沈黙した後。 『いいだろう』  吹き上がる熱風。  灯火山全体が鳴動するかのような地響き。  火山という、ファイヤーにとっては最高のフィールドを舞台とした戦いが、幕を開けた。 「ホウオウ、ルギア!」 『はい』 『はいはい』  二人が春香の前に並び立つ。  しかし、この二人で以ってしても今のファイヤーの力には及ばない。 『春香、ファイヤーはこの山を自らの半身としています。灯火山の持つエネルギー全てが、敵のようなものです』 「じゃあ、こっちはもっとたくさんの力で勝負しよう」 『そうですね』  ホウオウがすぅっと目を細める。  そして自らの爪で掌を傷付け、流れ出す血を使って地面に紋を描く。 『甦りなさい。目覚めなさい』  垂れた血が、赤熱する。 『錆びたる塔を砕く雷、朽ちたる塔を焼く炎、焼けたる塔を鎮める雨』  ホウオウの血が、かつて失われた命を呼び戻す。 『甦りなさい。目覚めなさい。ライコウ、エンテイ、スイクン』  伝説が呼び戻される。  雷の皇帝と、炎の帝王と、水の君主。 『ご命令を』  三つの伝説が、春香の前に傅く。 「行くよ、みんな! ホウオウとルギアはサポートを、ライコウ、エンテイ、スイクンは攻撃に回るよ」 『了解!』  その役割分担だけで、五人は最適なフォーメーションを形成する。  春香の指示の下、幾度もこなしてきたことだ。 『数を揃えたとて、私の領域で勝てると思うな!』  最初の奇襲など比べ物にならない熱を伴った風が、叩き付けられる。  熱風などという生易しいものではない。  まるで空気そのものが燃えているかのようだった。  しかし、今度は奇襲ではない。  ホウオウとルギアが、同時に障壁を張る。  二人分の力を注いだとしても、その熱風は防ぎきれるものではなかったはずだ。  だが、二人もその威力は予想済みだった。  まずホウオウが熱波を包み込むように障壁を展開し、勢いの衰えたところをルギアの障壁が、防ぐのではなく受け流した。  そうすることで熱は拡散し、ダメージを最低限に抑えることができたのだ。  もし正面から障壁をぶつけ、相殺しようとしていたならば、それだけで勝負は決まっていたかもしれない。 『やはり……この山の力を、完全に引き出している……!』  判断が間違っていなかったことに安堵するが、それはとりもなおさず、今のファイヤーの力はホウオウとルギアの二人がかりでも及ばないことを証明していた。  だが、二人ではない。  熱波の散った直後、三つの影が飛び出した。  アウトレンジではファイヤーの思う壺だ。  そう判断したライコウたちは、技を放った直後のその隙を突いて、接近戦へと身を投じた。 『受けろ!』  僅かずつタイミングをずらし、次々とファイヤーに飛びかかる三人。  純粋なる打撃戦。  しかし、伝説のアイドルたちの多くは、異能を特技としている。  ゆえに。  肉体を使った直接攻撃には精通していないことが多い。  それが、春香がこれまでの戦いで見抜いた、伝説のアイドルたちの弱点と思われるものだった。  そしてファイヤーもまた、その弱点は例外ではない。 『ちぃっ……!』  噴き上がる火柱で三人を追い払おうとするものの、ライコウたちは素早く周囲を走り回り、纏わりつく。  そうこうしている間に。 『スピードスター!』 『エアロブラスト!』  後方のホウオウとルギアが、体勢を立て直した。 『うぐっ!』  不意打ちのように飛んできた攻撃を受け、ファイヤーが揺らぐ。 「ライコウ、スイクン、追撃!」  春香の指示を受け、二人がファイヤーから距離を置く。  対称的に、エンテイはファイヤーに掴みかかった。 『ぐ……放せ!』 『逃がすか!』  もがくファイヤーを抑え込む。  その隙を見逃すほど、春香は甘くない。 「スイクンが先だよ!」 『了解です!」  スイクンの両腕から水の奔流が生まれる。  それをファイヤーのほうへ向けると、奔流は激しさを増し、強大な水圧を伴って襲い掛かった。 『ハイドロポンプ!』  奔流が直撃する寸前、エンテイがそちらに向けてファイヤーを蹴り飛ばす。  ファイヤーも空中で翼を羽ばたかせ、逃れようとするが、間に合わない。 『ぬ、ああああああ!!』  激突。  ファイヤーの纏う炎を、水流が吹き飛ばす。  耐え切れず、ファイヤーが地面に落下した。  そして追撃。 「ライコウ!」 『お任せあれ!』  春香の指示を待ち、全身を帯電させていたライコウが、その雷撃を解き放つ。  眩い閃光が一瞬、空へと駆け上ったかと思うと、直後、ファイヤー目掛けて殺到した。 『雷落とし!!』 『があああああああ……っ!!』  思考が停止する。  眼前がホワイトアウトするほどの衝撃が、ファイヤーを襲った。  ハイドロポンプの水流が爆散の勢いで蒸発し、周囲を真っ白に包んだ。 「ナイス連携!」  春香がにっこり笑うと、三人も照れたように微笑んだ。 『なに』 『それほどでも』 『ないですよ』 『そうだな』  声が聞こえて。  反応できたのはルギアだけだった。  足元が消失したかのように地面が激震し、立っていた全員が空中に巻き上げられる。  再び激震する地面に叩きつけられようかというその瞬間、ルギアはホウオウを突き飛ばし、念力で春香や千早たちを避難させる。  が、そこまでが限界だった。  ライコウたちは一瞬で形を変えた大地へと落下し、鋭く尖った岩に全身を串刺しにされる。  ルギアもまた、自分の身を守る余裕はなかった。  空中に舞い上がった岩石がルギアに殺到し、多量の土砂と共にその体を埋没させる。 『ま、まだこれほどの力が……!』  春香の指示は的確だったはずだ。  ハイドロポンプと雷のコンビネーション、ホウオウ自身が受けたとしても、恐らく耐えられない。  にも関わらず、ファイヤーは健在である。  相当なダメージを受けているのは明らかだが、未だに戦う力は残っていると主張せんばかりに、再び炎を燃え滾らせている。  このとき、ホウオウは失念していた。  火山という地形が、炎の力を有するものだと、自分自身が炎に属するものゆえに、考えていた。  しかし、火山は炎だけでなく、“大地の力も同時に有する”という事実を、ホウオウは失念していたのだ。  長らくの生活で火山の特性を理解していたファイヤーは、雷を受けた瞬間に“意図的に”地面へと転がり落ち、その力を大地へと逃がした。  雷の衝撃が体を貫いたのは確かだが、そのダメージは一瞬のこと。  空中に留まる敵を倒す雷の技は、敵の全身にその衝撃を与えてこそ真価を発揮する。  一瞬の衝撃では、体の機能を奪うまでには至らない。  逆に大地から炎の力を取り込むことで、ファイヤーは瞬時に戦闘力を取り戻したのである。 『残るは貴様だけだ、ホウオウ』 『くぅっ……』  一対一。  同属であるホウオウとファイヤーは、一見対等にも見えるが、その特質は異なる。  ホウオウの力は元々守りに向き、本質的には生命を扱うものである。  対して、ファイヤーは暴力的な炎そのものであり、力を徹底的に破壊に向けている。  加えて、先ほどの攻撃。  ホウオウも火山の特性をこそ失念しているものの、先の攻撃が大地と、岩石を自在に操る攻撃だったことは理解している。  同じことをもう一度やられたら。  果たして、春香たちを庇いつつファイヤーを倒すことができるか。 (無理だわ……)  ホウオウは、ルギアのように念力の力には精通していない。  障壁を生み出し攻撃を和らげることはできても、ルギアがしたように同時に複数の対象を念力で操るような真似はできない。  そもそもの属性が違うのだ。  このとき、ホウオウの頭にあったのは、いかにこの場を切り抜けて撤退するかということである。  ライコウたちは、先ほどの攻撃で生命活動を停止している。  しかし、元々ホウオウが甦らせた存在である彼女たちは、物理的な攻撃によって命を奪うことはできても、観念的な“死”は起こりえない。  気の毒ではあるが、緊急時なので今は見捨てて後ほど蘇生させるしかない。  ルギアは……死んではいないだろう。  とっさにホウオウや春香たちを庇ったその行動は、彼女にしては極めて珍しい利他的なものではあるが、元々計算高い性格だ。  恐らく戦闘不能を装って、隙を見て脱出するつもりでいるのだろう。  ならば、ルギアが戦線に復帰するまで、時間を稼がなければ─── 『ファイヤー、私たちの話を……』 『無駄だ。伝説の力、侮る気はない。時間を稼げばまた戦えるようになるのだろう?』  読まれている。  そんな素振りを見せたつもりはなかったが、ファイヤーは思った以上に抜け目ない。  ホウオウやルギアが守りに向いた力を持つと見て、確実にトドメを刺す必要があると踏んだようだった。 (どうする……!?)  既にファイヤーは攻撃態勢に入っている。  こうしている瞬間にも、再び攻撃が来るかもしれない。  一番優先すべきは─── 『……春香』  春香と千早を、抱き寄せる。 『ごめんなさい。力になれなくて』  心の中で、ルギアやライコウたち、そして……一緒に連れてはいけない、ロケット団の男たちに謝罪する。  せめて、ファイヤーの気まぐれであってもいいから命までは取られないことを祈るしかなかった。 『もっと、私に力があれば……』 「ううん、ホウオウは強いよ。ありがとう」  春香は首を振り、言う。 「お陰で、準備が整った」  ホウオウがその言葉に疑問を覚える前に───灯火山の上空を、一瞬で黒雲が覆う。 『こ、これは……!』 「見破られたら終わりだから、確実に決められる状態まで我慢しないといけなくて」  ライコウたちやルギアに悪いことしたね、とちょっと眉を寄せる。 「でも、これで私たちの勝ち。ファイヤー、すごく強かったけど、でも」  動揺するファイヤーを見つめて。  春香は言った。 「あなたは独りぼっちだから、私たちには勝てないよ」  黒雲から、何かが飛び出す。  それは真っ直ぐ、ファイヤー目掛けて急降下してきた。 『お、お前は……サンダー!?』  黒雲と共に現れる雷の化身。  ファイヤーと同列に並ぶ、伝説のアイドル。 『よう、久しぶりだな』  サンダーは、にやりと笑ったように見えた。  春香は、ライコウの雷落としと同時に、既にサンダーを解き放っていた。  そして攻撃に紛れて上空へと放ち、力を蓄えさせていたのである。  ホウオウは失念していてものの。  春香は、火山の特質を見抜いていたから。  だから。 「確実に、トドメが刺せるようにね」  雷が───  サンダーの体ごと、ファイヤーに叩き込まれた。 『……何が望みだ』 「最初に言ったよね。一緒に来て』  ライコウたちを蘇生させ、ルギアは(ホウオウの推測どおり)自ら岩を退かして現れ、ファイヤーは春香の持っていた傷薬で治療された。  その間、ファイヤーは大人しく薬を受け取り、抵抗する意思は既にないようだった。  そして、春香は改めてファイヤーを仲間に誘ったということである。 『まさかサンダーまで飼い慣らされているとは思わなかった』 「違うよ。サンダーは仲間。他のみんなも、ファイヤーもそうだよ」 『お前が命令する。我々は言うことを聞く。それは主従関係だろう』 「違う」  春香はきっぱりと否定した。 「私はみんなの力を引き出すだけ。みんなは、私に力を貸してくれるだけ。みんな友達だよ」  ファイヤーは黙り込む。  その意味を、捉えかねているかのように。 『いーのよ、そういうのは適当で』  すっかり回復したルギアが、横から口を挟む。 『実際どうなのかは、あんたの目で確かめればいいんだから』 『……そうだな。そうさせてもらおう。春香、お前と共に行く』 「ありがとう、ファイヤー」 『勘違いするな。お前の言葉に偽りがないか、確かめるために行くのだ。もし言葉を違えれば、そのときは殺す』 「うん、いいよ」  相変わらずの、安請け合い。  毎回のようにこんなやり取りをするので、ホウオウの気苦労は増えるばかりだった。 「さて、そろそろ帰ろうか」  春香が立ち上がる。  だが。 「わっ」  再び地面が揺れる。  今度は小さな揺れから、少しずつ大きな揺れへ。 『ファイヤー!?』 『いや、私ではない……これは、私の領域の外の力だ』  ホウオウは再びファイヤーが攻撃を始めたのかと疑ったが、ファイヤーは首を振った。 『じゃあ、これは……』 『……恐らく、海底火山だ。ここで激しく力を使ったので、連動してしまったのだろう』  ファイヤーは少しばつが悪そうに答える。  先ほどの地震が、これを引き起こしてしまったらしい。 「ねえ、これ、どうなるの?」 『放っておけば、近海の海底火山が噴火を起こす。この規模なら……ナナシマは無事では済むまい』 「それは困るよ!」  流石に春香も慌てる。  噴火が起これば、千早の家も危ない。  ただ、そういう感情だけで言っている。 「ファイヤー、何とかできないの?」 『悪いが……海の中は私の専門外だ』 「海……」  ばっと、全員がルギアのほうを見る。  海神。  海神ルギア。  ルギアは、露骨に顔を逸らした。 「ルギア、できるよね?」 『嫌よ、そんな面倒くさい』 「ルギア」 『……………………』 「お願い」 『……あーもう』  渋々ながら、ルギアは頷いた。 『言っておくけど、私にできるのは力を弱めて少し放出させるだけ。噴火自体は、十年か二十年か、いずれ起こるんだからね』 「うん。自然のままで起こるなら、それは仕方ないよ」  自分たちの戦いの結果、ナナシマが危機に陥るのは流石に見逃せない。  春香も、自然な成り行きで噴火が起こるならそれは仕方ないと思った。  癪だわ、ああ癪だわと繰り返し呟きながら、ルギアが飛び立つ。  そして猛スピードで海面へと突撃したと思うと、そのままの勢いで海の中へと消えていった。  数瞬。  揺れが少しずつ収まっていったかと思うと。  海面が爆発した。 「わ……!」  噴火してしまったのか、と思ったが、巻き上げられたのは飛沫ばかり。  どうやら純粋にエネルギーだけを解放し、溶岩の噴出は抑えたらしい。  それでもしばらくは土砂降りのように海水が降り続ける。  長く長く、それは続いたが、やがて収まり。  ナナシマには、大きな虹がかかって見えていた。 「ん……」  千早が目を覚ますと、そこは見慣れた四の島の町外れだった。  何があったのだったか。  ぼんやりとした頭でそれを思い出そうとするが、よく覚えていない。  確か、町を飛び出して一人で歩いているところを─── 「ちーちゃぁん!!」  突如、物凄い速度で駆け寄ってきた人物に抱き締められる。 「ちーちゃんどこ行ってたの!? もう、心配したんだから!」  ぎゅうぎゅうと痛いほど締め付けてくるのは、よく知った顔。 「……カンナお姉ちゃん」 「ごめんね、弟君ばっか構って寂しかったのよね……でもいきなりいなくなったりしたら心配するじゃない!」 「ごめんなさい」  そういえば、弟と喧嘩して家を飛び出してきたことを思い出した。  でもそんなことはもうどうでもよくて、もっと何か大切なことがあった気がする。 「今までどこにいたの? 地震とか色々大変だったのに、怖くなかった?」 「……地震?」  きょとんと首を傾げる千早。  記憶にない。  覚えているのは……そう。 「友達と、遊んでたの」 「お友達? 誰?」  ロケット団にさらわれたこと、そして火口に突き飛ばされたショックからだろうか。  この日の出来事を、千早はほとんど忘れてしまっていた。  ただ、誰かと初めましてをしたような気がする。  自分と同い年くらいの、女の子。  その顔すらも曖昧になってしまっているが、とても楽しい時間だったことを覚えている。  まあいいか、と思った。  きっとまた会える気がするから。  そのときは、また一緒に遊びたいと、千早は思った。 『よかったのですか、春香。お別れも言わずに』 「いいの。私ももう、帰らなきゃ」  千早が目を覚ました頃、春香は既にナナシマを出る帰りの定期便に乗船していた。  一人旅とはいえ、所詮子どもの旅だ。  あまり遅くなると、両親に怒られてしまう。 「ロケット団の人たちも縛って置いてきたし、ちーちゃんは四の島に送ってきたし、ファイヤーも仲間になった。完璧だね」  春香は満足そうだ。  小さな子どもにしては刺激的過ぎる旅になったが、春香の行く先々はこうしたアクシデントの連続だ。  きっとこれからもそうなのだろうと、ホウオウは半ば諦めかけていた。 『あたしはもうこりごりだわ。あんなメンドクサイこと二度とやらないからね』  噴火を収めてからというものの、ルギアは悪態のつきっぱなしだった。  今は普段どおりに振る舞ってはいるが、流石に一帯の海底火山の沈静化には相当な力を消費したらしい。  海から再び姿を現したときは、よろよろと頼りなく這い出てきたのである。 「ごめんね、ルギア。でも困ったときは、また助けてくれるよね?」 『お断りよ。もう手なんて貸さないから』 「うん。ルギアはいつもそう言って、ちゃんと助けてくれるんだよね」 『……………………』 「ルギアみたいのを、“ツンデレ”って言うんだって」 『……誰がいつデレたのよ』  そう苦々しく言ったっきり、ルギアの言葉は途絶えた。  本当のルギアは、もっともっと厳しい性格をしている。  かつて己を封印する直前には単独で人間と戦争を起こしかけていたし、邪魔をする相手は誰であれ容赦なく叩き潰していた。  そういう時代を知るホウオウにとっては、確かに今のルギアは甘いというか、デレていると言えなくもないのだった。  まあそれも、この春香という少女の持つ力の一種なのかもしれない。  ホウオウ自身もまた、彼女に一筋の希望を見たからこそ、行動を共にしているのだから。 『そろそろ本土に着きますね。今日も一日、お疲れ様でした』 「ホウオウもね。さて、明日はどこに行こうかな」  春香の放浪癖は、まだ当分収まらない。  そんな流浪の少女と千早が再会を果たすのは、これから九年後。  そして二人が敵味方に分かれ、伝説的な戦いを繰り広げるのは、それから更に一年後のことである。    萌えもんプロデュース・サイドストーリー“ナナシマの邂逅” 了