―そう、忘れもしない、あの夢― ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 俺の頭がドラゴンの口の中へ入りかけたその瞬間。 『ブシャアァァァッッ!!!!!』 水道管の破裂するような音。 その時の状況はすぐには把握出来なかった。 たった今、得体の知れない生物に食われかけていた上、自分の体に真っ赤な液体が降り注いだのだから。 鉄の匂い、いやむしろこれが血の匂いというのだろうか。 頭がグラッとした。 「大丈夫!?怪我は無い!?」 その一声でハッと気が付き、声のした方へ視線を向ける。 その時俺の目に入った光景は、首から血を噴き出し、雄叫びを上げる黒竜の姿と…その首の上に乗っている人影。日本刀の様なシルエットの物を持っている。 その人影はしっかり見えた。それは間違いなく「人」影であり、そして…じょ…女性…? そこに居たのは、どこかの民族の様な革の衣装を着ている、俺よりも身長の高い女性だった。 「ねぇ!聞いてる!?」 「え、あ、は…はい!」 そういえば「怪我は無いか」と問いかけられてたのだった。 首を切りつけられた黒竜はぐったりとしている。弱点は人間と同じなのだろうか。 女性が大声を上げているのは距離があるからだと気付いたのは結構後の事だった。 「とりあえず混乱しているだろうけど、しばらく言う事を聞いて!」 この不可解な状況から抜け出せるなら是非そうさせてもらいたい。 そんな考えが頭を過って、 「わ…わかりました!」 と怯えを隠せぬまま応答した。…敬語で。 「じゃあ今、何か殺傷能力のある物は持ってない!?」 俺は返事をするのも忘れて自分の身を確かめた。 その時、逃げる際に鞄を投げ出して来たのを思い出した。 俺は急いで元居た位置へ駆け出した。 「急いで!でないとコイツ、何時復活するか分からない!」 「…ヴゥオォォォォ…」 俺を急かすかの様にこのタイミングで啼きだす竜。 俺は鞄のファスナーをこじ開け、中を隅々まで調べた。 注文通りの物はあることにはあった。だが果たしてこれは役に立つのだろうか…? 「こんな物でも大丈夫でしょうか!?」 俺は筆箱の中から取り出した物を片手で空高く掲げた。 こんな暗がりでもしっかり見えたのだろうか、女性は言った。 「うん!上出来!」 その言葉が終わるか終わらないかの内に、女性は細長い紙を投げつけてきた。 その紙は俺の手元に舞い降りた。 「それに貼り付けて!」 俺は迷わず右手に持っている物にその紙を貼り付けた。 すると突然、俺の右手から光が発した! (んな…何だ?) 光は収まった。 右手に持っている物体は原型をある程度留めてはいた。 (何故、こんなことが…?) だがその鋏(はさみ)は、何十倍かの大きさに巨大化していたのだ。 しかもそれは側面に柄も付いていて、「武器」として扱いやすい状態になっている。 そして何故だろう。 さっきまで恐怖や(主に精神的な)疲労によって衰弱しきっていた身体や精神に、力が漲ってくる。 その時だった。黒竜はさっきまでの勢いを取り戻し、また高らかに雄叫びを上げた。 首からの出血は止まっているようだ。 「っ!マズイ!気を付けて!」 紙一重で首から降りた女性が叫ぶ。 「はい!」 自分でも不思議な程に、目の前の存在に恐怖を感じない。 多少興奮状態にあるのか、呼吸が早い。 黒竜の今度の考えは尻尾を振り回し、俺にヒットさせる事の様だ。 右前方から竜の尻尾が迫って来る。 「避けて!」 女性の声が聞こえた。どうやら反対側に位置しているようだ。 だが元々運動には多少自信がある俺だ。言われずともそれは出来る! 「よっ!」 手に持った巨大鋏を利用し、棒高跳びをしてみせた。 尻尾は俺の数センチ下の所を通り過ぎ、元の位置に戻った。 …「元の位置に戻った」…? そう、竜の尻尾は辺りのマンションやらビルやらをすり抜けて振り回されたのだ。 しかし今は然程疑問視しなかった。「今更」という感じもあったし。 それよりも俺は、避け際に刻んでやった一撃の行方が気になった。 そう、元の体勢に戻りながら、竜の左目に一閃。 どうやら傷は浅かったらしい。出血はあるものの、竜は平然としている。 黒竜は先程と同じ…俺が女性に助けられる直前に取った行動、 つまり俺を飲み込もうとする動きをしてきた。 俺もすぐに取るべき行動を取った。 そして俺の体はドラゴンの口の中へ… 『ズシュッ!』 …ドンピシャだ。 「グ…ァ…ェ…」 黒竜よ、叫べまい。お前の口は開きっぱなしなのだ。 自身の上顎に刺さった鋏によって。 『ズッ…』 俺は剣…いや、鋏を竜から抜き放った。 「ギェオァァァァァ!!!!」 最後の雄叫びを上げると、竜はゆっくりと、力無く、そして静かに…倒れた。 女性が放ったさっき一撃の時は数十秒で起き上がったというのに、今度ばかりは深手だったのだろう。 呼吸はまるで虫の息、身体は植物よりも静かだった。 「どうだ…この野郎」 その時、手に持っていた鋏が再び光った。 本当に眩しいな、この光……… 「え…?あ…」 俺は我に返った。と言っても意識も記憶もあったのだが。 右手に約15センチの鋏を持った中学2年生の姿がそこにあった。 さっきまでは別の人間だった気分だ。 その瞬間、地鳴りがした。竜だ。竜が引き込まれていく。 空中に出来上がっている黒い大きな穴に。 俺の身体も少しずつ勝手に移動している。 「!何かに掴まって!」 地鳴りのため、聞き取りづらかった。だがしっかりと聞いた。 俺は忠告を聞き入れた。生憎、掴まる物が無かったので地べたに這いつくばる様に伏せた。 まるで背中を引っ張られているようだった。視界の隅っこにある大穴に吸い込まれる。 この恐怖は竜に喰われそうになった時(無論一回目)以上だった。 やがて地鳴りは収まり、巨大な穴は消えた。巨大な黒竜と共に… 「し…死ぬかと思った…」 今日2番目、そして人生2番の「死ぬかと思った」。全く冗談にならない。 流石にこれには参った。数秒はまともに立っていられなかった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「あぁ、無事だったのね。…元に戻ってるみたいだけど」 さっきの女性が近づきながら話しかけて来る。 この人、よく見ると…美人だ… 「凄かったじゃない、あの竜を参らせるなんて…逃げられちゃったけど」 優しく誉めてくるので、少し照れてしまう。 参ったのはこっちだし、あの竜逃がしちゃったのか…など色々と思う事もあったが。 「い、今のは一体何だったんですか…?」 思わず顔を赤くしたまま言ってしまった。 「ん〜、まずはどの辺に「何だったか」って言ってるかを教えてもらわなきゃなぁ…」 女性は苦笑混じりの困り顔で言った。 俺はとりあえず質問を整理するため、少し間を空けた。 「じゃあまず…さっきのあの生物は?」 「あの竜ね。あれはちょっと違う世界から来たんだけど…」 「違う…世界」 苦し紛れに頷いた。 疑問の余地は無かった。違う世界の何かでなければアレは一体なんだったのか。 "違う世界"の存在には引っかかるものがあったが。 「あれは黒竜類のボス格ね」 「こ、こくりゅうるい?」 「ま、話せば長くなるから今はいいわね」 "今は"…その単語にはかなり引っかかるものがあった。 しかし、訊くのが恐くなり、口を紡いだ。 次に俺は「貴方は一体?」という問いをかけた。 「私の名は教えられないけど…ああいった奴を排除する役目を持つ者…「撃滅士(スレイヤー)」とでも解釈して頂戴」 「はぁ…」 …割とぶっきら棒だな、この人… 「じゃ、さっきの鋏が大きくなった現象は?」 「あぁ、それはこの札を貼ったからよ」 「フダ、ですか…」 「これを貼る事で黒竜等に対抗出来る様にするのよ」 "等"って…他にも沢山居るのか…? あんなヤバそうなのが。 「私の持っているのは元々のサイズだけど」 そういえばこの人…日本刀の様な物を持っていたな。 後ろに見え隠れしてるぞ… 「…お喋りもそろそろ終わりね」 「え?」 「戻らないと行けないの、本拠地に」 「本拠地…」 「あとは…本日最後の任務を果たすだけね」 何気無く背後の刀を取り出す女性。 「最後…?」 「そう、アナタへの"通知"よ」 「…へ?」 「アナタはこの件に関わった以上、私達と同じ様に撃滅士になるか、口封じのため命を奪われるかの選択肢しか残っていないの」 「………うえぇぇぇ!?」 思わず身を引く。 冗談じゃない!今日まで至って普通のスクールライフを送ってきたのに、いきなり絶命かっ!? そもそも撃滅士って正式名称だったのか…? 「撃滅士に入るか、棺桶に入るか、よく考えると良いわ」 「それって選択肢一つしかないのと同じじゃないですか…!?」 「それは違う。死よりも苦しい出来事があるかも知れない。死よりも恐ろしい危険に立ち向かわなければならないかも知れない」 「な、それって…どっちもどっちですか」 「アナタは「選択肢は一つしかない」と言った以上、撃滅士になる予定みたいね」 「…やっぱり死ぬのは大きいんで」 「わかった」 刀を身の前に構え、何やら呟きだす女性。 その直後… 「な…ちょっ!?」 「はぁぁぁぁ!!!!!」 女性が勢いよく振り下ろした刀は、俺に刃を向けて真っ直ぐに向かって来たのだった。