『野良犬と飼い犬』

 ほぼ履き潰したアディダスのハイカットスニーカーの紐を変えてみる。購入当初のシンプルな白色無地の汚れた紐から、世界的に有名なキャラクターがポップにデザインされた黒い紐に。合わせて丁寧に汚れを落として磨くと、まさに見違えるほど味があり遊び心のある一品に仕上がった。

 新しく買い替えようとした僕にリストアを提案したのはカーコという女性で、靴紐を黒地のキャラクターものにしたのも完全に彼女の影響だ。カーコはよく僕のファッションを「悪くはないけど遊び心がなくて面白みに欠ける」と批評していた。それは僕の性格も指して言っていると思う。何かにつけて分別くさい僕に少し窮屈そうな態度を示すことがあるのだ。それでも今、カーコが僕の隣にいるということは、それ以外の部分で彼女にとって僕の存在が必要であるのだろう。

べッドに目を向ける。カーコは見事に蘇ったこの靴をなんと評するだろう。小振りながらも形のよい胸が上下に呼吸をしている。日頃の爛漫さからは嘘のように規則正しく運動するその胸を眺めながらカーコとの未来を考えていると、僕は不安な気持ちに襲われた。

実はカーコには四年間交際している恋人がいる。カーコの言うにはその彼氏はかなり奔放であるらしかった。最近は特に、会いたいときになかなか会ってもらえず、逆に突然会おうと言われたとき会えないと怒られたりして、奔放というよりはわがままといった方が近いかもしれない。彼女が不満と寂しさを抱えて不安定な時期に僕らは出会い、一緒にいるようになっていった。

「別れてあなたと新しくやっていきたいとは思うけど、慣れたモノを手放すのはやっぱりとまどうの。だから、わがままだってわかるけど、もう少し時間がほしいの」

こうして一緒にいるようになってきたけれども、僕はまだ(と彼女は言う)正式に彼女の恋人という肩書きにいるわけではない。餌付けられた野良犬と言えるかもしれない。そうすると彼女は放されている飼い犬と言えるかもしれない。肩書きや呼び名に意味があるのだろうか。カーコとの関係が親密になっていくに従って、僕は疑問の螺旋に空回りしていく。誰が野良犬で、誰が飼い犬なのか。不自由の安定と自由な不安定。安定の不満と不安定な気楽さ。何をもって僕らは人間関係の枠組みを決めていくというのだろう。

おもむろに起き上がり、小さな身体を大いに伸ばしながらカーコが近づいてくる。軽く唇を合わせておはようの挨拶をする彼女の目にリストアされたスニーカーが映る。そして得意げな顔をしながら少し下目づかいに僕を見て彼女は言う。彼女は意図していないかもしれないけれど、その言葉は確かに僕に響くのだ。重く。とても重く。

「ほら、やっぱりわざわざ新しいものを買わなくても、慣れ親しんだものを修復した方がいいでしょ!」